ちょっと重いっす
スオッ!(略した)
プノンペンでの観光ですが、正直キツかったです。
プノンペンに来たら必ず行こうと決めていたにも関わらず、いざ現地に着いたらダメでした。
トゥールスレン虐殺博物館と、キリングフィールドに行きました。
ご存知ですか?
カンボジアでは、今から約40年前に大量虐殺が行われました。
当時の人口は800万人。犠牲者は200万人〜300万人と、現在でもはっきりしていません。
諸悪の根源はポル・ポトという政治家です。彼の文化廃止という政策により、通貨・市場・学校・宗教が廃止されました。通貨の代わりに米が用いられ、宗教施設(寺院)は家畜小屋にされ、経典は燃やしたりトイレットペーパーに使用されたそうです。
全市民が強制的に、農村部に徒歩で退去させられました。入院中の患者もお構いなし。当然のことながら、病人や子供は長い行軍の途中で命を落としました。
旧体制や革命を恐れたポルポトは、教師・医師・学生といった知識階級の人間を次々と殺しました。
復讐をおそれて、その人達の家族も皆殺しにされました。
中にはメガネをかけているというだけで、収容所に入れられて殺されることもあったそうです。
医療等は全て10歳程度の子供が行っていたそうです。
囚人を収容していた施設が、トゥールスレン収容所です。この建物は、元は高校だったそうです。
独房です
1番心に重くのしかかってきたのは、下の写真です。
この写真は遺体を撮ったものです。トゥールスレンには多くの虐殺の証拠が残っています。
何故なのか?
殺したという証拠がないと、殺す側の人間も疑われたからです。
遺体を座らせて、赤ちゃんを抱かせて、頭を椅子に刺して固定し、写真を撮る。
胸がむかむかしました。
頭と首の付け根辺りが熱くなりました。
思考が鈍くなりました。
自分が立っているのは、資料にあるような拷問や虐殺が行われた現場です。
とにかく、この場から立ち去りたかった。
校庭にはまだ遺体が埋まっているそうです。
囚人を殺した道具や拷問器具です。
斧やツルハシやナイフ、木の棒、スコップ。中には傘の柄もありました。
銃は使われません。費用が掛かるからだそうです。
つい40年前の出来事です。
トゥールスレンで有罪とされた人々が連れて来られる処刑場にも行きました。
有名な「キリングフィールド」です。
名前の通り「処刑場」です。
慰霊塔
この慰霊塔の中には、発見された犠牲者の遺骨が納められています。
遺骨に貼られているシールは色の違いで、性別・年齢・殺され方などを示しています。
木の幹に刃物で付けられた傷があるのがわかりますか?
これは刃物で処刑した跡です。
キリングフィールドには木が沢山生えているのですが、所々にこういった傷が見られます。
この木の根元では、赤ちゃんが頭を打ち付けられて殺されたそうです。
足を持って叩き付けたようです。
キリングフィールドにいる間中ずっと、私の頭は鉛を詰められたように重く、ただ愕然と殺害現場や遺骨を眺めていました。
怒りとか、悲しみとか、そういった感情を通り越して、思考がぼやけてました。
4年間におよそ300万人を虐殺。
正当な理由などありません。
原因は、たった1人の狂った指導者です。
これは戦争ではありません。同じ国民同士が、民族同士がやったことです。
映画や小説の中の話ではなく、20世紀に実際にあったことです。
現在のカンボジアには、このポルポトの政策を経験した人も生きています。
カンボジアの学校では、この歴史を授業で教えることはないそうです。
何かを感じてもらえたら幸いです。