けっこう何気なく普段使っている言葉でも、じつは名前と内容が全然関係なかったりする。そう、ジャーマン・スープレックスのジャーマンとかなっ!!
はいどーも~、グーテン・モルゲンッ!!(ドイツ語でおはよう!の意)あえての「おはよう」です。「こんにちは」はグーテン・タークなのですが、「モルゲンッ!」の言いやすさが好きなのでグーテン・モルゲンッ!!!!森です。
あ、そうそう、タイトルで書いた通りです。実は「ジャーマン・スープレックス」というプロレスの投げ技、ジャーマンっていうてるのにドイツ全然関係ないっす。実は技の開発者はベルギー人です。
まーね、ジャパニーズレッグロールクラッチホールドも日本人関係ないですし、モンゴリアンチョップもモンゴル人関係ないですからね、この話題はこの辺りで。
あ、でもジャーマンポテトのジャーマンはドイツでOKです。本物のドイツの家庭料理です。
さてさて、チェコを堪能した私は、バスでドイツの首都「ベルリン」にやってきました。ここにきた目的は、そうアレ。有名なアレ。そう
「ベルリンの壁」です。
そう、米ソ冷戦の象徴、ベルリンの壁。
WW2の後、ドイツは米・英・仏・ソ連に占領されました。西側が米・英・仏の占領地域で資本主義。東側がソ連の占領で共産主義。で、元々東側にあったベルリンも分割占領され、西ベルリンを米・英・仏が、東側ベルリンをソ連が占領という形になり、東ドイツの中に西ドイツがポツンとある不思議な地図になりました。
で、東ベルリンが西ベルリンを包囲した壁が「ベルリンの壁」です。
現在はこんな感じになっております。
鉄芯が残っていたり。
かつて壁があった所が分かるようになっています。
こちらは監視塔
壁が出来始めたころは有刺鉄線だったみたいです。
博物館で印象に残った1枚です。
壁が出来始めた当初は、東ドイツ兵ですら脱走したみたいです。
この映像見てね、色んな友人を思い出したんですよ。
主に、結婚して家庭を持っている人ばかりですが。
それは前職の先輩だったり、地元の連れだったり、兄弟だったり。
多分、その人達も西側に家族がいれば、同じことしたんやろなって。でも、東側に家族がいたら、何があっても東側に留まるんやろなって。
その人達は家族をとても大切にしている人達なので、恐らく私の思い違いではないとおもいます。
壁の残骸は、部分的に残っています。
以上!
壁のレポートは終わりっ!
ベルリンの夕日は綺麗でしたよ!
P.S. 宿のエレベーターがシンドラー社やった。