南米バイク旅 63 Mil Gracias
はいどーもー、オーラーッ!!今日は晴れたのでKAIDAのメンテナンスをしていた森です。ブエノスアイレスでお世話になっている日本旅館のオーナーご夫妻に、日本のカレーをごちそうになりました。やっぱ日本のカレーはうめぇなぁ~。あかん、最近食べてばっかりな気がする。あ~お腹一杯。
じゃー続きね~。
セサールのお家があるラプラタからブエノスアイレスに移動する日。オイル交換とブレーキパッドの交換を済ませて出発しようとしたら、驚きの一言が・・・
セサール「ブエノスアイレスまで着いて行って、目的の住所まで連れてってやる。」
マジすかっ!!
どこまで優しくしてくれるんだセサール・・・・。
あかん、泣きそうやからやめて・・・。
「ほとんど一本道だから大丈夫だよ!」と言っても「送っていく!」の一点張り。ここは素直にありがたく送ってもらうことに。
小一時間でブエノスアイレスの日本旅館に到着。
ありがとうセサール。朝から夜中までとにかく元気に活動するタフな53歳。
いろんなところに連れて行ってくれて、ブラジルにいったら仲間を紹介するからとまで言ってくれた。
見た目はワルそうやけど、ぶっきら棒やけど、暖かかったです。
日本旅館にてウルグアイ・アルゼンチンでのことを振り返ってみる。。
こんなに沢山のバイクチームが助けてくれた。
思い出の品もいっぱい貰った。
ミカがくれた反射ベスト(国道ではこれがないと違反になる)と写真。
ルイスがくれたデザイン画。
ロドリゲス一家がくれたウルグアイ国旗。マテオが作ってくれたブレスレットとニットキャップ。サブリナがくれた折り紙。
ここブエノスアイレスに来てから、最初にアルゼンチンに入った頃から今までのことを思い出した。
<ミカ・ルイス>
ここは自然があふれていて毎日が穏やかで、時間がゆっくり流れている。そんな平和で落ち着ける場所に、愛する人たちと一緒に生きていることはとても幸せなこと。ウルグアイは物価が高い、そして私たちは少ししかお金を持っていない。だけど、私たちは幸せだよ。
<オマール>
ヨシは日本に家があるかい?
私はこの家を建てるのに10年間必死に働いたんだ。父さんがいなくなっても、母さんがいなくなっても、どんなに苦しくても働き続けたんだ。
「男は泣くもんじゃない。」そう父さんに言われて育ったから、辛くても泣かずに頑張った。そりゃ昔は辛かったけど、今は愛する家族と暖かい我が家がある。私は今、本当に幸せだ。
そしてマテオにも言ってるんだ「男は泣くもんじゃない」ってね。
<アルフレッド>
これがラプラタ川だ!どーだ?でけーだろ?このまま海まで繋がってんだよ。俺たちバイク乗りの繋がりも負けてねーけどなっ!何言ってんだ、ヨシももうその中の一人じゃねーか!ハハハッ!
<ヘソル>
バイクはいいもんだ。今コイツは動かないが、きっと直してみせるさ。そしてまたコイツと一緒に、みんなが集まるところへ行くんだ。バイクと仲間と焼肉、それだけで幸せだろう?ばーさんはうるさいがな。ガハハ!
<ヘソルの奥さん>
あらあら、あなたは色んな国々を旅してきたのね。素晴らしいことだわ。でも、一人で寂しくなかった?あなたは沢山の人たちに優しくされたでしょう?顔をみれば分かるのよ。私にそんな感謝しないで頂戴、私たちは自分の心にしたがっているだけよ。もうっ、ヘソル!ちょっと静かにして頂戴っ!
<ダボ>
写真撮るならオレを撮れっ!
そんなとこで座ってねーで、ほら、食えっ!食えっ!俺が焼いたチョリソーは美味いからよっ!ウルグアーショもアルヘンティーノもハポネスも関係ねぇ!食って飲め!そんで気分が良くなったら歌うんだ!
ま、オレは明日も仕事だからもう寝るけどな!だからって遠慮すんなよっ!
<セサール>
銃を撃ったことがあるかって?もちろん撃ったことはあるが、プライベートセキュリティをやっていて、そう簡単に銃を撃つやつはまだまだだな。とは言っても、私もあまり撃たなくなったのは息子ができてからだけどな。
ハンバーガー、もう1つ食べるか?
思い返し、考えてみる。スタンドでウゴが声を掛けてくれた。そんな些細なことがきっかけで、沢山の人たちの心からの優しさを貰った。これを果報者と呼ばずになんと呼ぼうか。
この3週間ばかりは、本当に安心で安全に旅行することが出来た。空腹のまま凍えて眠ることもなかったし、暗闇や雨の中で心細くなることもなかった。色んな人と触れ合えて、私自身も本当に嬉しかった。
しかし、思うこともある。
このままバイクチームの繋がりにお世話になり続けていいのか?
人の優しさや善意に甘え続けていいのだろうか?
これが自分がしたかったバイク旅か?
と頭の中に浮かぶ疑問。
色んな人と出会って、語らって、それが「楽しくなかった」といえば嘘になる。
でも「自分らしい旅が出来ているか?」と自分に問うてみると、自信をもって「YES」とは言えない。
人に敷かれたレールの上を進んできた感は否めない。
もちろん感謝していないワケじゃないが、多少の窮屈さを感じていたのも事実だ。
さて、そろそろ本来の旅路に戻ろうか。
上手く言えないけれど、私は危険を求めているわけじゃない。しかしこのまま頼り続けると、それはもう冒険ではなくなってしまう気がする。
南米北部や砂漠やアンデスでは、ギリギリの状況を何とか切り抜けてきた。その達成感や経験が、自分を大きくしてくれたと思う。では、彼らとの出会いは自分の成長にならなかったのか?そうではない。彼らとの出会いは、確実に自分を成長させてくれた。
しかし、
そろそろこの暖かさから卒業しようか。
そんなことを考えていたりもする。
私に出来ることは、この素晴らしく刺激的な日々を決して忘れないこと。
そして、感謝の気持ちを持ち続けることだろう。